小豆島・富丘八幡神社と富丘古墳群の関係性を考察する【古墳と神社】

古墳と○○

「山頂」の古墳と神社

ここから「古墳と神社」の関係性を探る本題に入ろう。まずは「山頂古墳」と富丘八幡神社の位置関係をみていきたい。

なんと、富丘八幡神社は山頂古墳の目の前に鎮座している。

これは門で、奥に社殿が見える。その奥に古墳がある。

本当に目の前。社殿の奥に山頂古墳が控える、そんな位置関係だ。

「立派な神社」「偉大な始祖のお墓」。この2つの並びが全くの無関係であるとは考えにくい。古墳の存在を知らないまま神社を建てたとは到底思えない。

 

富丘八幡神社は古墳を祀る神社だった?

では一体なぜ、古墳の目の前に神社が建立されたのか。

先述の通り、富丘古墳群の「山頂古墳」は、富丘の地に築かれた古墳の中でも最も古く豪華な古墳だった。つまり、山頂古墳の被葬者は富丘の地に代々お墓を営んだ小豆島の豪族の「始祖」である可能性が高い。

もともと山頂古墳より標高の高い位置に古墳はないし、規模・副葬品のうえでも山頂古墳に勝る古墳はない。つまり、富丘古墳群は、始祖の墓を仰ぐようにつくられた造墓地にみえる。

多くの古墳は低墳丘で、山頂古墳と比べて劣ると言わざるを得ない。

そして、富丘八幡神社もそんな「始祖の古墳」をお祀りするかのごとく鎮座している。他の古墳には目もくれず、だ。

すると、導き出せる結論はこうなる。

「富丘八幡神社は、富丘古墳群を営んだ一族の‟祖先信仰”がきっかけで建立された」

 

日本人の祖先信仰

古来より、日本人はたびたび祖先一族または地域の統合の象徴として信仰してきた。そして、富丘古墳群および富丘八幡神社には、日本の祖先信仰の形がよく表れているように思う。

ここでは、自らのご先祖様を「神」とみなす風習の原点を探る。

 

先祖を神様とする風習

ご先祖様を神とみなして信仰する風習は日本神話にもみられる。というか、日本神話そのものが、先祖の活躍を描く物語である。

例えば、天皇家の祖先「神」とされていることは日本人みなの知るところだ。古代の天皇は、自らの祖先を太陽の神・天照大御神とすることで支配の正当性を主張した。

しかし、実は天皇家以外にも、日本の神話にあたる『古事記』『日本書紀』に登場するほぼ全ての登場人物の祖先は「神」であることになっている。

つまり、日本神話が執筆された当時の貴族・豪族(天皇家を含む)は、自分たちの一族の共通の祖先を神話に登場する「神」と定めることで一族のアイデンティティを形成し、イデオロギーを作り上げたのだ。

こうした例は日本神話に止まらない。こうした伝承は日本各地にみられるし、日本だけでなく世界各地にも存在する。「神」の創作だけでなく、実在の人物を神格化する例も少なくない(八幡神がその好例)。

いわば、祖先信仰は一族・地域のつながりを深めるための手段だった。

 

古墳と祖先信仰

また、古墳も祖先信仰の場である。古墳時代において、偉大な先代の王の墓を立派に築いて祭り上げることは、なによりも一族と地域の紐帯を強くする行事となりうる。

近畿地方の巨大古墳では埴輪を用いた祭祀も行われた(富丘古墳群で埴輪は見つかっていない)

このような「古墳時代の祖先信仰」は日本各地で確認されている。

例えば、偉大な始祖のお墓のそばに大古墳群を築き上げる地域は結構多い(富丘古墳群もこの例に含まれよう)。共通の祖先の墓を仰ぐ位置に墓地を形成し、一族の結束を図る狙いがあったとされる。

こうした地域の有力者は、偉大な祖先を「神」として祭り上げることで地域の統治を行った。古墳は地域統合のツールとしても利用されていたのだ。

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