米沢・トトロの森を徹底考察。李山丹南山神に対する信仰とは。

文化

「山の神」信仰について

トトロの森に鎮座する李山丹南山神とは、一体どんな神様なのか。ここから先は、民俗の世界に立ち入って考察してみたい。

 

米沢の「山の神」

「トトロの森」が位置する山形県米沢市のほか、東北地方の各地には林業や農業にまつわる不思議な風習・信仰が残っている。“李山丹南山神”もその一つ、「山の神信仰」に由来する。

米沢市は盆地の南端で、市街地の縁辺は全て農村・山林だ。そういった縁辺部で、「山の神」は祀られてきた。

山間部のなんでもないようなところ。誰の目にもつかないような場所の、小さな祠。その場所こそ、近隣の集落の人々が自然の恵みに感謝し豊穣を願って「山の神」を祀ってきたところだ。

また、「山の神」は集落ごとに一つ、といった形をとる。「山の神信仰」には大いなる自然に祈る行為を通して、集落共同体の一致団結を図る効果もあったのだろう。

かつて、農村では「田植え」「草むしり」「稲刈り」は集落の全員が総出で行う一大行事だった。加えて、子育ては地域全体で行うものであった。

どれも、個人の時代が全盛期を迎えている今では考えにくいことではある。そんな中、「山の神信仰は」かつての「共同体としての活動」の痕跡をとどめているものと考えられる。

 

李山地区に「山の神」が祀られた理由

既に述べた通り、トトロの森に祀られている李山丹南山神もこうした「山の神」の一種だ。
ここで、なぜ李山地区の人々は「山の神」を祀ることになったのか、といった疑問が沸き起こる。

その答えは、地図を見ればわかった。李山はかの有名な「最上川」に沿った集落なのである。

川沿いの農村といえば、農業用水には困らない反面、水害も多く凶作から飢饉に至るケースが多発しやすい。李山地区をはじめとする最上川の上流域では水害が多発したようで、米沢藩もずいぶん手を焼いていたとか。

江戸時代末、全国的なかつ大規模な飢饉であった「天明の飢饉」をはじめ、様々な災難が米沢藩にも降り注ぐ。すると、李山地区でも大きな被害が出たことだろう。

その結果、李山の住民たちは藁にも縋る想いで祠を建てた。山の神の力で飢饉を収束させるため、共同体の一致団結をはかるため。米沢の山間部地域に受け継がれていた「山の神」の信仰が、李山地区でも始まったわけだ。

これが李山丹南山神であり、後にトトロの森となる場所のルーツと思われる。

 

集落を見守る神から「みんなに見守られるスポット」へ

江戸時代末、飢饉に悩まされた時代に米沢・李山の住民が建てた「山の神」を祀る小さな祠。その祠を守るケヤキ・杉の森は立派に成長を遂げ、人気映画のキャラクターにそっくりな姿を見せるようになった。

元は集落を水害・飢饉の魔の手から見守るための「山の神」だったものが、いつしか皆に見守られるスポットへと姿を変えた。

もちろん、今でも集落の人々からの信仰も続いている。それに加えてさらに、「トトロの森」として多くの人に愛される場所へ。

今では地元の方々によって「トトロの森」の公式HPまで作られており、その愛着ぶりは本当にすごい。

トトロの森・李山丹南山神
山形県米沢市李山丹南山神の「トトロに見え...

河川の整備が進んだ今、水害・飢饉の可能性は限りなく低いはずだ。それでもなお、李山丹南山神は今でもなお集落共同体のシンボルとして輝いている。

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