「思い出の味」と言われて、みなさんは何を想像するだろうか。
母の作った料理なのか、学生時代よく通っていたお店の味なのか、それとも高級レストランの豪華な料理なのか。
いずれにせよ、“ふとした瞬間に懐かしくなって、強烈に食べたくなる味”だと思う。思い出すきっかけはいつも突然、そんな感じ。
ぼくの場合、それは『かむかむレモン』だった。
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ここで想像してみてほしい。同じ家でともに生活していないほうの祖父母と従兄弟との旅行を。
いくら近しい間柄とはいえ、自分だけ違う屋根の下で暮らしていることになる。そんな関係性で「お出かけ」と言うのだから、相当なプレッシャーというか、疎外感みたいなものがある。
そんな状況を思い浮かべていただけるだろうか。
少し厳しい祖母と、自由奔放な祖父。そこに、活発な従兄弟とひ弱で神経質なぼく。ほんの小さな頃のぼくは、その「3+1」みたいな旅行に何度も連れてもらっていた。
ついでに断っておくと、自分の家の家族の仲も良かったし、みんな旅行自体は大好きだった。ただ、どちらかといえば自分の家族は目的地そのものを楽しむタイプで、移動を楽しめるのはぼくだけ。
それで、「どちらかといえば移動を楽しむタイプ」の(自分と同じ家に住んでいない方の)祖父母によく連れられていたのだ。
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緊張するとお腹を壊すタイプの人にはわかってもらえると思うのだけれど、そういう特殊な状況に置かれるとぼくはすぐに腹痛を起こす。
楽しいはずの旅行。そのタイミングでペースを乱す人っているじゃないですか。それがぼくだったわけ(自分で書いてて思ったけど、これ最悪だね)。
そして、そういうなんとなく体調がよろしくないときには、目的地へ向かう電車の中で食べるおやつも、大好きなココナッツサブレとかオレオとかルマンドじゃなくて、なんかさっぱりしたのが欲しくなる。
そんなときに毎度毎度祖父母が買ってくれたのが『かむかむレモン』だった。
別に祖父母はお腹を壊しがちなぼくを気遣ってさっぱりしたお菓子を買ってくれていたわけではない。
「単にばあちゃんが好きだっただけだよ」、と従兄弟が言っていた。
ただ、これだけは言いたい。普段は別に食べようと思わない『かむかむレモン』は、電車に揺られながらだと格別に美味しかった。
祖父母に買ってもらった『かむかむレモン』を従兄弟と二人でシェアしながら食べる。いつしかそれは、毎年行われる3+1旅行のルーティンになっていた。
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多くの人がそうであった(か、または現在進行形)ように、中学高校生は部活や勉強で忙しい。すると、これまであった「親戚と会う機会」がどんどん減っていく。
当然、ぼくと二個上の従兄弟が二人とも中学高校に入ったことで、毎年恒例だった3+1旅行もだんだん行われなくなっていった。
そして、先に従兄弟が東京の大学へ、ぼくが大阪の大学に進学する。そうなるともう、盆と年末年始くらいしか顔をあわせることが無くなる。
「寂しいなぁ」
3+1で毎年必ず出かけていたはずのぼくら。それなのに、みんなで揃うことすらレアケース。
それから一度も「3+1の旅行」は開催されないまま、祖母、祖父は、順番に天国へと旅立ってしまった。
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気がつけば、苦労の絶えない大学生になっていた。さまざまな悪いことが立て続けに起こり、心理的に疲弊しきったなかで、親から電話がかかってきた。
「おじいちゃん、亡くなったぞ」
お別れを言いに地元へ帰らねばならない。ぼくは駅のコンビニで買い物をした。長旅のお供に、お茶を買っておこうと思ったのだ。
そこでふと、強烈に「あの味」を思い出す。
「かむかむレモン、売ってるかな」
思えば、3+1人でともに旅に出ることがなくなってから10年以上『かむかむレモン』を食べていない。
だから、おやつの棚に『かむかむレモン』を見つけたときは「まだ売ってたのか」とつぶやいてしまった。
正直いろいろあって疲れていたから、あの黄色いパッケージを見るまで「祖父の死」を実感できていなかったのだと思う。
しかし、懐かしい『かむかむレモン』が入った袋を店員さんに渡されてはじめて、ぼんやりとしていた「祖父の訃報」がハッキリとした輪郭を帯び、現実のものとなった。
……回転して向かい合わせにした座席。かむかむレモンを買ってくれた少し厳しい祖母の顔。かむかむレモンをシェアする従兄弟とぼく。それを温かい目で見守る自由奔放な祖父。
駅のホームで、乗り込んだ列車の車内で、ぼくは泣いた。ひと粒を噛むたびに、忘れていたはずの幼い頃の記憶、3+1のあの旅行のことを思い出す。
もう一回、せめてもう一回、みんなで行きたかったよ。
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「思い出の味」が「思い出の味」であるのは、その味が強烈な記憶や体験と結びついているからではないか。
その「思い出の味」がどうしても食べたくなるのは、脳が「その記憶を思い出せ!」と命令を出しているからではないか。
あの黄色いパッケージを見るたび、そしてレモン型をした小さくて酸っぱい粒を口の中に放り込むたび。
ぼくはきっと、亡くなってしまった祖父母のことを思い出すだろう。
つまり、「思い出の味」は、忘れちゃいけないものごとを思い出すための記憶装置なのかもしれない。