2020年5月現在、NHKの大河ドラマ『麒麟がくる』の舞台は越前国・一乗谷(いちじょうだに)です。主人公・明智光秀(演・長谷川博己)が越前の大名・朝倉義景(演・ユースケ・サンタマリア)のもとに滞在したとの説話がもとになっているのだとか。
今回の大河、オモシロイらしいですね(全然見てません)。どうも、歴史好きライター&Our Localのコフンねこです。
朝倉氏の本拠地であった一乗谷は、現在『一乗谷朝倉氏遺跡』(福井県福井市)と呼ばれ、国の特別史跡にも指定されています。
城下町として。防御の要として。かつての一乗谷は特筆すべき機能を持っていました。しかも、その美しい街並みや庭園は一部復元されており、現在の観光の目玉ともなっているんです。
しかし、その最終防衛拠点であった山城・『一乗谷城』の存在は観光客にもよく知られていません。
そこで本記事では、登山口から約〇時間もかかる!?一乗谷の山城について紹介します。
「北の京」と呼ばれた越前・一乗谷
『一乗谷朝倉氏遺跡』は現在の福井県福井市の山あいに位置する南北朝~戦国時代の城郭&城下町遺跡です。かつての越前の戦国大名・朝倉氏の拠点でした。
特筆すべきはその立地です。
一乗谷はその名の通り「谷」で、出入り口は南北2カ所の細い谷筋の道のみ。その道には「城戸」と呼ばれる土塁を設け、さらに守りを堅くしています。
つまり、出入りは極端に制限されていた、と。
周りは東西南北ぜんぶ山ですよ。しかも北側には川が流れていて、平時には流通・緊急時には堀のような役割を果たしていたそうな。防御ステータスにポイント全振りかよ。
それでいて生活も豊かだったらしいんです。
京都で起こった「応仁の乱」に前後して、戦火を逃れてやってきた多数の文化人・技術者が一乗谷に定住したといいます。彼らは職業別・役割別に分散して住まい、当時「北の京」と呼ばれるほどだった一乗谷の繁栄に寄与したとか。
防御だけじゃなくて文化レベルも高い。まさに理想郷ですね。
で、こちらは『朝倉館跡』。
一乗谷のお殿様である朝倉氏が居住した館(お屋敷)のあとです。「お城」「館」と聞いて想像するようなでっかい天守閣もないし、ひときわ目立つ防御施設もありません
でもここ、単なる「生活の場」だったんですよ。そう聞くと「お家にしては立派だな~」って思いませんか?
現在は建物の基礎と庭園の一部が復元されるのみにとどまってますけど、こりゃ当時はすごかったんだろうな。庭園は国の「特別名勝」ですからね。
でっかいお屋敷です。
したがって、
これが一乗谷の特徴と言えるでしょう。一乗谷の平地部分は割と発掘調査が進んでいて(とはいえ全体の数%に過ぎない)、なんとなく全体像がわかっています。
つまり、朝倉氏は「出入口を守ることで内部の生活の豊かさを担保する」ようなまちづくりを実行していたんです。だからこそ、朝倉氏自身のお屋敷も防御性能はそこまで高くない。少なくとも、屋敷への侵入はあまり想定していなかったんでしょう(真偽不明)。
その答えは「一乗谷山」の山頂にあります。