信長の手で一乗谷と山城の繁栄が終わった
これほどまでの防御設備を誇り、なおかつ地面の下にはまだまだ謎の遺構が埋まっているとみられる一乗谷の山城。
そんな山城にもかかわらず、一乗谷の山城は実戦で一度も使用されませんでした。
実戦では使われなかった山城
そもそも、一乗谷が攻め込まれるケース自体めちゃくちゃ少なかったんです。城下町の出入口の防御(=城戸)がうまく機能していたのでしょう。少なくとも、敵に対して「あんなの無理」と思わせる効果はあったはず。
しかし、そんな一乗谷も織田信長の猛攻には耐えられませんでした。一乗谷の城下町は信長の手によって一瞬のうちに火の海と化し、一乗谷の朝倉家は滅亡してしまいます(=一乗谷城の戦い)。
そのときですら山城が使用されなかったのだから驚きです。一乗谷の出入口に対する防御を固めていたことから、敵軍の城下町への侵入はいわば想定外だったのかもしれません。
復元模型
一度谷に侵入されてしまえば、山奥に逃げ込んだとて結果は同じ。麓からの物資の供給が絶たれてしまえば太刀打ちできなくなりますもん。
防御ステータスを高めすぎたのが仇となったのか……?
専門外ゆえに詳しくはわからないのですが、素人でも一乗谷の山城の使い道には疑問が残ります。だって、朝倉氏は実戦で山城を使うすべもなく負けてしまったのだから……!
一乗谷と山城はともに滅びぬ
朝倉氏の無念の敗北により、(肝心の山城は一度も使われないまま)一乗谷の繁栄は終わりを迎えてしまいました。
朝倉氏滅亡後の越前を任されたのは、信長の家臣である柴田勝家。彼は越前の中心地を一乗谷から「北ノ庄(現在の福井市中心部)」に移します。
そこに築かれたのは、一乗谷のような「平地の居住地+戦闘用の山城」のセットではなく、いわゆる「平城」でした。
福井市の中心部には旧来の城跡が残る
(朝倉氏の一乗谷が敗北したこととの因果関係は不明であるものの、)自然地形を生かした防御にステータスを全振りする時代は終わった。
そこからは石垣とお堀で人工的に守りを固めるタイプのお城(=平城・平山城)がトレンド入りを果たした。
平城タイプのお城は戦闘用の施設と平時の住まいが同居したモノでした。住まいと山城を別々に持つよりも、利便性が高かった、と。
こうして一乗谷の繁栄とともに、山城の時代も終了。自分たちですら登城がしんどいんだから、そりゃ山城の文化自体滅びて当然なんですけども。
堅牢な守りにも一長一短あったんですね。
一乗谷の山城を知ってほしい
古くは朝倉氏の拠点として栄えた一乗谷。朝倉氏は谷の出入口の防御を固めることで城下町を発展させ、なおかつ最終手段として山奥にとんでもない山城を築いていました。
現在、一乗谷は歴史好きの観光客でにぎわっています。冒頭で述べたように、今年は大河ドラマ『麒麟がくる』でも一乗谷が登場。さらなる観光需要が見込めるところです(もっとも新型コロナウイルスの影響があるので一概には言えませんが)。
しかし、おそらく山城に向かう人々の数はそれほど増えないものと思われます。危険な山道の存在以前に、山城があることを知らない人が多いので……。
そこで!少しでも興味を抱いた方は是非、一乗谷の山城まで登山してみてください。
山城の複雑な構造を見学できることに加えて、山頂からは一乗谷の城下町の鉄壁の守りっぷりが良く見えます。天気がよければ福井市内や日本海も一望できるので、大河ドラマの世界観・地図がよりクリアになるはずです。
山頂から見えるは福井市の市街地。一乗谷のあとに発展した
もちろん、登山用の準備は忘れずに(登山靴・長袖長ズボンなど)。くれぐれも我々のような中途半端な気持ちで登らないこと!最悪転落して〇にます。