「新型コロナウイルスの感染拡大によって……」
今はどのサイトの記事を見ても、上記のような書き出しで始まっている。だからぼくはこの書き出しがとても嫌いなのだけれど、仕方がないから言わせてもらいます……。
新型コロナウイルスの感染拡大によって、各地の「文化・芸術」が危機に瀕しています。もっと言えば、「まちの文化・芸術の危機をなんとかしなきゃ」って話になってます。
ただし、この場合の『まちの文化』ってなんでしょうか。なんかよくわかんないですよね。
博物館に展示されているのが文化?伝統的なお祭りこそが文化?それとも、学校の文化祭みたいなのが文化?
『まちの文化』ってのはそんな単純なモノじゃありません。
したがって「守る」のも難しい。
だから、ぼくたちは新型ウイルスによる「まちの文化の危機」をなんとかするために、
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そもそも文化とは何かを考える
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自分の好きな「まちの文化」を発掘する
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「まちの文化」を世の中に発信する
必要性があるんじゃないかなって。今回はそういう話をするよ。
そもそも『まちの文化』とはなにか
「文化」「芸術」ってなんでしょうか。
極端に言えば「文化」とは「人」だと思ってます。人の営みがまずあって、そのなかの共通要素とか似たような活動をまとめて「文化」と呼ぶ。
わかりにくいな!概念的過ぎるよ!
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例えば、みなさん学校に変な伝統ありませんでした?
ぼくの小学校では「横断歩道を渡ったら、待っていてくれた車に会釈するルール(強制された記憶はない)」があったなぁ。あと謎にシャーペン禁止だったり。
○○小学校に通う児童はたくさんいて、もちろん各人いろんな行動をする。だけど、なぜか共通する行動みたいなものがあった。
これは紛れもなく○○小学校の文化です。ぼくも有名人の□□さんもみんなやってた!
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もっと高度な話をすれば、縄文文化とか古墳文化とか、あとなんだ、天平文化とか国風文化とか。
縄文土器
権力者がこぞって土や石を高く積み上げた墓を作ったのは「古墳文化」だし、縄目模様のついた土器でどんぐりやら果物やら肉やら魚やらを煮て食べていたのは「縄文文化」。
古墳
歴史で習うような「文化」も、結局はその当時の人の営みのうち共通する要素をまとめ上げた言葉だ。
※正確な定義は学問的にも議論の余地がやまほどありますが。
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「まち」はそういった「文化」の集合体です。
商店街を見渡してみれば、スーパーやコンビニがまだ普及していなかった時代に作られた八百屋さんやお魚屋さんやお肉屋さんが並んでいる。その当時の「文化」だったわけだ。
その一方で、廃業してしまったお店をリノベーションして作られたカフェやゲストハウスも混在する。これはここ10年くらいのカルチャーかな。
まちを歩く学生はなにやらみんなタピオカドリンクを飲んでいる。これも現代の文化だ。その光景を見てバブル時代のことを思い出している人やモノにも、バブル当時の文化が生きている。
まちにお城の跡があるならば、それは戦国時代や江戸時代の文化の名残。まちの伝統のお祭りも芸能も、全部そう。
つまり『まちの文化』とは、『いろんな文化がごちゃごちゃにミックスされてる状態』のことなんだ。
そりゃ当然、まちには人がたくさんいて、その活動の痕跡がたくさんあるんだもん。
だから、自分の色眼鏡じゃない物の眼鏡をかけて「まち」を見てみると、自分が知らない「文化」や、知っているけれど忘れてしまった「文化・芸術」にたくさん出会えるんです。
当然、自分のアイデンティティを形成した文化にも。
まちに人がいない光景(イメージ)※だいぶ前に撮った写真です
でも、まちに人がいないってことは……相当な危機……!?
自分の好きな「文化」を発掘せよ
繰り返す。『まちの文化』ってのはものすごい二重構造なんだよ。
「人々の営み」=「文化」の入れ物が「まち」で。『まちの文化』とは、その文化の層が厚くアツく積み重なっているさまを指す。
裏を返すと、自分のアイデンティティにかかわる「文化」が「まち」のどこかに落ちているんです。
で、『まちの文化』は現在危機的な状況にある……。
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まちで人々の営みが消えた。
営みが消えると、人は忘れてしまいます。人の記憶がだんだんと薄れていくと、忘れ去られた文化は死んでいく。
つまり、『まちの文化』という状態そのもの=「まちに積み重なっている文化の層」がボロボロと崩れていく可能性があるわけです。
だからまずは、自分の「守りたい文化や芸術」を見つけ出して自覚する必要があります。
例えば、あめちゃんをあげる風習だとか。
学校帰りにみんなで食べたラーメンとか。
楽しいお祭りとか。
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『まちの文化芸術』の複雑な構造のなかに、絶対に自分が守りたいモノがある。でも今は外に出れないから、忘れてしまいそうになる。
でもそれをなんとか思い出してほしいんです。次なる作戦のために。。。
ネット上に「まち」を作り直そう
何度でも繰り返します。「まちは文化の入れ物」。ただ、残念ながら、わけわからんウイルスのせいで「まち」には出れない。
外出自粛のいま、『まちの文化芸術』を救うためにできることはなにか。
ぼくは、「守りたい文化芸術をシェアすること」だと思います。
『まちの文化』=「いろんな文化がごちゃごちゃしている状態」を仮想空間上に再現してしまおう!って話。てか、これしかなくない?
方法は簡単です。
自分が守りたい文化を、文字・イラスト・写真・動画などなどで発信する。
東北のみなさん(自分も含めて)はそろそろ「早いとこ終息してくれないと今年の秋に芋煮会ができない」ことに気がついて焦ってるんじゃないでしょうか。味や具材の方針で他県民とケンカする流れが失われ……アレ?芋煮って醤油×牛肉しか存在しないから、そもそもケンカなんかありえないか…… pic.twitter.com/w0ofvwloDN
— コフンねこ (@Story_Neko5) April 20, 2020
たったこれだけで、インターネットの海に『まちの文化』の一端を残したことになります。
そうすれば、みんなが、少なくともあなたは。忘れたくないモノを忘れずに済む。
綺麗事みたいに聞こえるかもしれないけど、みなさんやってみてください。『まちの文化』を救うためにどうかよろしくお願いします。