本当にあった「古墳」の怖い話【古墳と神社】

古墳と○○

夏休みの最中、寂れた墓地へ肝試しに行った経験はないだろうか。

お墓とは即ち死者の眠る場所。当然ながら、とか妖怪とか、そういった目に見えない存在を想像したくなる。

つまり、「お墓」はなにやら怖いモノとして認識されていると言えよう。

 

知ってのとおり、筆者が狂信的に愛している「古墳」も古い時代の“お墓”だ。

しかし、全然怖いイメージを持たれていない。

 

そりゃそう。

 

あまりにも古すぎて、古墳に眠る人物が化けて出てくるとは思えない。それゆえ、古墳が心霊スポットになっているような例は限りなくゼロに近い。

筆者も「古墳はお墓だ」と思って接しているし、そこにはある種の畏敬の念もある。ただ、古墳を怖いと思ったことはただの一度もなかった。

 

そう、“なかった”。

 

あの古墳たちに出会うまでは……。

茨城県〇〇〇古墳

古墳を訪れる目的は人それぞれだ。近所の歴史を知りたいとか、犬の散歩のコースに含まれるからだとか。いろいろあるだろう。

筆者の場合は体験を重視する。本で見ただけではわからない、周辺環境・現存状況・整備状況・ご近所さんからの扱われ方……などなどを知るため。だから、わざわざ現地に赴いて古墳を見る(単純に言うと「好きだから」)。

この日も同じだった。茨城県の某駅から歩いて5分程度。駅周辺の地図で古墳があるのを見つけて、「ぜひ行ってみたい」と思ったのだ。

行ってみると、そこには全長100mを超えた前方後円墳。地方の古墳としてはなかなかに大きい。また、墳丘には草木が伸びていて、あまり人の手が入っていないようだった。

いつものように古墳の上に登ってみる。しかし、どうも寒気がする。「なぜだろう」と思ってふと足元を見てみると、草木の根を巨大なゴキブリの幼虫が這い回っているではないか。

 

「ヒッ!」

 

思わず小さな悲鳴を上げた。

まあ、長い年月を経た古墳に自然の営みがあるのは当然。すこしビビったけれど、ゴキブリは古墳マニアの歩みを止めるほどのものではない。

 

ヤバかったのは古墳の頂上だった。

 

そこには、誰のものかわからない墓石と、謎の祠(ほこら)が建っていた。

 

何かがおかしい。

 

墓石は妙に新しく見えた。でも、何故か周囲には草木が伸び放題になっている。その上、お供え物の酒盃が割れている。

 

怖い。

 

しかし、より筆者の背筋を凍らせたのはの方だ。鮮やかに彩色された祠。一見すると、墓石と同じで新しい印象を受ける。

たった一点、祠本体が土台からストンと落ちていることを除いては。

 

 

「まるで首を切られたみたいだ……」

 

 

そう思ったときにはもう、足が古墳の外に向いていた。いつもならもっとゆっくり見学するのだけれど、この日はわずか3分程度で見学を終えてしまった。

 

山形県〇〇〇古墳群

古墳には【単独で存在するタイプ】【群を成しているタイプ】がある。ここで紹介するのは後者。一つの丘陵に約200基を数える古墳が築かれた古墳群である

この古墳群には遊歩道が整備されている。ただし、その入り口から様子がおかしかった。

なんだコイツ。たぬき?くま?風化した木彫りの動物らしい。霊的な怖さではないものの、なんだか不気味に感じられる。

丘陵には古墳がポコポコ並んでいる。一つ一つの距離間隔も非常に近い。さながら現代の墓地のよう。

ゆるい山道を登っていく。すると、ひときわ残りの良い前方後円墳を発見した。

さっそく登ってみる。古墳の上からは盆地が一望できた。

でも、筆者はここで別の部分に目を向けていたのだった。

なんだこれ。古墳の上で「なにか」がビニールシートに包まれている。

パッと見では全く何なのかわからない。加えて、すこしシートをめくったくらいでは中身を見ることができない程度には厳重。

 

「さわってもいいかな」

 

青いビニールシートの上から「なにか」に触れる。思ったよりも硬い。

 

「コレは……祠だ……」

 

なんと、ビニールシートでぐるぐる巻きにされているではないか。一体どうして。

封印なのか?それともなにか別の目的が?

まあ、冷静に考えれば「祠の冬支度」なのだろう。雪深い山形で古墳の上の祠を守るには、ビニールシートで保護する他はない。

それでも「畏れ多くも祠に触れてしまった」ことに対する恐怖は拭えなかった。入り口の動物像と相まって、今でもこの一連の体験を不気味に感じている。

 

Tips:古墳に対する恐怖と「祠」

古墳を「怖い」と感じた例を改めて抜き出してみた。すると、いずれの場合も怖いのは古墳そのものではなく「古墳の上の祠」であることがわかる。

肝試しでお墓そのものを怖がるのとはまた違った恐怖と言えよう。恐怖というよりもむしろ畏怖に近いのかもしれない。

ここで疑問を抱く。

 

そもそも、なぜ古墳の上に祠が置かれるのだろうか?

 

古墳はお墓だから、当然死者の魂を祀る場所ではある。しかし、当時の古墳祭祀に「祠」なるものは存在しない

つまり、「古墳の上の祠」は古墳時代の産物ではなく、その後の時代に据え置かれたモノと考えて良い。

 

 

一体、誰がなんの目的で?

 

 

調べてみると、

・古墳の上に祠が置かれているケース

・古墳の上(またはすぐ近く)に神社が存在するケース

などは案外多いらしい。

祠も神社も、古墳築造当時には存在していないはずなのに。

古墳の上(または周辺)に設置された謎の祠や神社。時には古墳そのものよりも見学者に畏怖の感情を植え付ける、神聖な装置である。

 

実はこれまで、その意義についてあまり検討されてこなかった。

 

あまりにもそうした謎の祠や神社の数が多いため、さすがに偶然とは捉えがたい。にもかかわらず、これまで「古墳×神社」の存在理由はわかっていない。というか、そのテーマで何らかの考察がなされたことすら(多分)ない。

今回は「怖い古墳」を切り口に、本当に怖いのは古墳そのものではなく、古墳の上や周辺に築かれた「祠」「神社」であると説いた。

しかし、それよりももっと怖いのは「古墳×神社」の目に見える関係性を相手にしない人間の態度ではないか。

そこで、【古墳と神社】の連載では『なぜ古墳の上や周辺に宗教的な施設や物体が置かれるのか?』についてゆるく語っていきたい。

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