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愛知県岡崎市。
徳川家康出生の地として、また「八丁味噌」の生産地として有名なまち。
そんな一言がきっかけで、筆者は岡崎を訪ねることになった。もちろん、古墳も。
探索した結果わかったのは、岡崎に眠る「徳川家康以前」のカルチャーの奥深さだった。
八丁味噌はなぜ“八丁”か
「え、古墳の話なのにどうしてお味噌から入るの?」
すみません、多分関係あるのでとりあえず読んでもらえませんか。古墳はもう少しあとにちゃんと出てくるので。
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それはそうと、コクと旨味がスゴくて、愛知県民がみんな大好きなお味噌。それが『八丁味噌』だ。
八丁味噌は色の分類でいうと「赤味噌」、材料の分類でいうと「豆味噌」にあたる。
同じようなお味噌は愛知県はじめ東海地方の各地で作られているんだけども。『八丁味噌』と名乗って良いのは岡崎市内の2つの味噌蔵のお味噌だけなんだな。
理由はシンプル。『八丁』が岡崎市内の町名だから。
『丁』は距離を表していて、岡崎城からちょうど八丁のところで作っているから『八丁味噌』なのである。
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ここで注目したいのは、岡崎城からの距離でもって町名が割り付けられていることだ。
現在では『七丁』とか『三丁』のような町名はどうも存在していないらしい。ただ、普通の町名であっても、岡崎城からの距離に応じて割り振られたものであることは想像できる。
実際に地図を眺めてみると、「とある道路」と「とある道路」で囲まれた一つのブロックを『〇〇町』と呼んでいるようだった。
(これ案外、説明するのが難しいな。)
たしかに「町名」は岡崎城からの距離に応じて割り振られている(らしい)。しかしながら、その「町」の区画は「道」によってなされている。
「距離」と「道」とでは、異なる基準といえば異なる基準だし……?
これには二つの可能性があるのよ。
一つは「道」も「町」も両方岡崎城からの距離が基準になっている可能性。
もう一つは「道」と「町」が全く別の基準で整備された可能性。
果たしてどちらなのか?
その謎を探る鍵が「古墳」にあった。