2017年秋、僕は「普通電車でアポなし帰省」をした。馬鹿みたいに時間かかったし、すごいトラブルもいくつか発生したけど、よき思い出の一つになっている。
2020年の、さまざまな事情で帰省を諦めなければならない夏に、僕はその帰省を思い出すことに決めた。完全に自己満足。
2日目:婦中鵜坂駅(富山県)→実家の最寄り駅(山形県)
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婦中鵜坂駅(富山県)5:54→富山駅(富山県)6:04
前日の夜、日付をまたぐギリギリで友人宅に到達。思い出話に花を咲かせながら一晩を過ごした。
……おはようございます。朝の5時です。
眠っている友人に「じゃあ、俺行くから」と告げて友人宅を出る。いや、これワンナイト・ラブみたいな感じだね。後に引きずりたくない女子の行動だね(※普段そういうのとは縁のない生活を送っています)。
なぜこんなにも早起きをしたのか。それは、始発の列車に乗りたかったってのと、もう一つ。友人宅が絶望的に駅から遠いからである。
友人宅はすごい。昨夜利用したあいの風とやま鉄道・呉羽駅からは徒歩1時間半、JR高山本線の婦中鵜坂駅からでも徒歩50分もかかる。
今の彼は車を持っているのだけれど、当時はなかったので、僕は自力で駅まで行くしかなかった。秋の夜長、暗い夜道をひたすら歩く。Google先生の地図に頼りながら。どうやら山を一つ越えるらしい。
道中、「高速道路の上の道」に差し掛かった。高速道路の真上に、なんか細い橋みたいなのが渡ってることありますよね。あの道です。高速道路を挟むようにして伸びる細い山道の連絡橋みたいなアレ。
高速道路の上から見た夜景がきれいだったなのはすごく良かった。だけど、それはつまり、道路に照明がないことを意味している。まさに暗中模索で、スマホの灯りを頼りに進む。
すると、その路は途中で通行止めだった。えぐいて。
いやいやいや、Google先生はたしかにココを進めと言った。現実には通行止めでしたー。この瞬間、大迂回が確定になります。
通行止めを突っ切って行くとこの時点で駅まで徒歩30分で済むところ。Google先生によれば、新たに迂回で50分かかるとか。
この辺から記憶が無いんですよ。マジで。マラソンの始まりです。気を抜いたら列車が行っちまう。箱根駅伝みたいな山を下って駅前にたどり着いたのは、発車のわずか3分前だった。
ところが。
僕がやってきたのは「駅の反対側」。たしかに線路は目の前にある。なのに、ホームに入れない。田舎あるある、駅の目の前に踏切も地下通路もないパターン。
無情にも2両編成のディーゼルカーが駅に到着。運は尽きた、諦めて1時間後の列車に乗ろうとした瞬間、運転士さんが僕の存在に気付いて声をかけてくれた。
***
僕「ここどうやって線路渡ったらいいんですかー?」
運転士さん「この汽車(ディーゼルカーのこと)に乗りでぇのかぁ!?」
僕「はい!」
運転士「ほんじゃそこのフェンス越えて通って来て!」
***
神です。神が降臨なさいました。神に許可をいただいたので、初めて線路脇のフェンスを越え、踏切のないところで線路を渡り、ホームによじ登って乗車。
ハッキリ言って大迷惑ですね。本当にごめんなさい。この件で炎上したら丸一日屋外に放置した開封済みの牛乳を一気飲みします。さすがにウソです。でもそのくらい反省してます。
てか、Googleマップ許さんからな。お前を信じて2度も騙されたんじゃコッチは。
富山駅(富山県)6:23→泊駅(富山県)7:12
やっとの思いで富山駅に到着。もうホント疲れた。そして申し訳ない。
と、まあ落ち込んでいても仕方ないので、自分にご褒美を与えることに。富山名物の「ますのすし」を購入しました。
早速電車の中で食べよう、と意気揚々と乗り込むも、この時間の電車って案外混んでるのよ。高校生でごった返した車内でますのすしの匂いを放つわけにはいかん。
それと、この電車はドアを手で開ける方式です。都会にお住まいの方は「何言ってんだ?」と思うかもしれません。でもコレ、ガチよ。
みんな商店街の和菓子屋さんに入る感じで「ガラガラ」と電車のドアを開けていた。もしもあなたの身の回りで電車のドアを手で開けようとする人がいたら、富山県民を疑いましょう。
(実際は他県にも少し「手で開けるタイプ」が残ってるはずです……)
泊駅(富山県)7:14→直江津駅(新潟県)8:26
ここからは海沿いを走るぞ。やったぁ。
うーん、日本海って感じ。荒れてるなぁ。逆にその荒れた海が旅と駅弁のいいアクセントだ。車内も空いてることだし、「ますのすし」食べよう。
美味すぎるだろ。なんだコイツ。
直江津駅(新潟県)9:22→新潟駅(新潟県)11:29
ココから先はJR東日本区間。
「JR東日本をご利用くださいまして~」みたいな車内放送を聞くと、「ああ、帰ってきたな」と思っちゃう。
ほんでよ、これまた海がきれいなんだ。
どうやらこの「快速・新潟行」は現在廃止されちゃったみたいです。悲しいです。
新潟駅(新潟県)11:42→坂町駅(新潟県)12:45
ここまで休憩なしで鉄道に乗り続けている。
地方の鉄道路線でここまで乗り継ぎがうまくいくこともない。
と、ここ坂町駅でお昼休憩。1500円の海鮮丼を注文した。疲労がたまっていると金銭感覚がバグるらしい。
なんでしょう、一人暮らしだと魚を食べることってあんまりないんですよね。だから食えるタイミングで積極的に魚を食べたい(とか言ってたら魚の三枚おろしが趣味になった)。
坂町駅(新潟駅)13:31→???駅(15:??)
これから乗る米坂線は、僕がまだ小さいころに父がよく乗せてくれた路線だった。テープで撮った古めかしいホームビデオには、嬉々として米坂線に乗る僕の姿がよく残っている。
ビデオの中の僕は、列車に心地よく揺られ、口をあんぐり開けて寝ていた。で、大きくなった僕も……寝ていた。朝早かったもんで。口を開けて寝ていました。ええ、全く成長してませんね。
車両も変わった、しかも1両編成と短くなった。けれど、そこにある思い出までは色あせない。小さいころに父に連れられて米坂線に乗った思い出が、僕を「普通列車でアポなし帰省」に導いたのだ。
……お父さん、お母さん。僕、富山の全然知らない場所で猛ダッシュしたんですけど。帰省ってこんなにキツイものでしたっけ。
で、到着しました。やっとの思いで実家を目指します。
???駅(山形県)→実家(山形県)
徒歩で実家へ。
実家の祖父母に電話をかけることにした。家に誰もいなかったら困るもん。もちろん「アポなし」だから、今帰省しているってことは黙っておいた。
***
僕が大阪にいる前提で会話が弾む。
僕「久しぶり、ばあちゃん元気にしったが?」
祖母「ひさすぃぶりだなあ、オラは元気だぁ!そっちはちゃんと飯食ってだんだが?」
途中祖父とも電話を替わりつつ、こんな感じの訛りで会話が進みます。
祖母「長話して悪がったなっし。まだ連絡してけろな。」
この時点で実家まで徒歩三十秒。
僕「ばあちゃん、電話切らないで玄関に来て。」
笑みをこぼしながら僕が言う。しかし電話の向こうでは困惑している様子。
『ガチャ』
電話が切れると同時に、玄関のドアが開く。
***
祖母視点で見たら、真夏に雪が降ったような気分だったはずだ。大阪にいるはずの孫が扉の目の前にいる。驚きとうれしさでお祭り騒ぎが起こった。
すごい不思議だったのがさ、ばあちゃん、何故か赤飯炊いてたんだよね。別にめでたいことなんて何もなかったんだけど。
しかも、僕が食べたいと思ってた料理である「芋煮」を作ってくれてたのよ。
なにこの偶然。これは必然?ばあちゃん、さらに「いいお肉」まで注文しちゃった。今夜はステーキパーティーです。
え、もう毎日実家に帰りたいんですけど。
じゃあ祖母と祖父以外の家族の反応はというと、別段驚くわけでもなく。
「え、なんでいるの?」くらいで終わった。
まだ大学進学から半年しか経っていなかったこともあって、むしろ「アイツがいないのがおかしい」くらいの感覚だったんだろう。
(あと、弟が淫夢厨になってました。やめちくり~)
まあ、それでも僕はみんなに会えてうれしかったよ。家族の笑顔が一番うれしい。僕はそれを見に、わざわざアポなしで帰省したのだから。
あとがき
思えば、道中いろいろなことがあった。大荷物を抱えて授業に現れ、大荷物を抱えて教室を飛び出し。深夜に着いた友人宅で朝まで語り合い、翌朝には猛ダッシュ。懐かしの路線では昔の僕そのままに爆睡をキメた。
旅の道中ってのは、普段の生活以上に「自分らしさ」が出るのではないかと思う。今回の帰省では明らかに無茶をしすぎた。どれもこれも、自分を育ててくれた家に帰りたかったからだ。
どうやら、僕は自分が思う以上に家族とか故郷への思い入れが強いらしい。
マジで例のアレがなければよぉ、今年も帰省してたのによぉ。
あ、ちなみに弟は淫夢を卒業しました。今では立派なオーディオオタクです。
このとき、実家での滞在時間はわずか16時間でした。後日、母親に「余計に寂しくなるからちゃんと余裕を持って帰ってこい」と怒られました。ごめんなさい。