石橋の未来像
以上、現在のまちの東西差から石橋発展の歴史を探った。
「石橋」跡地に残る石碑。
石橋のまちは古くから『結節点』だった。そして、結節点であるが故に線路によって区画されてしまった。
こうして、まちの東西は違った歩みを進めていくことになる。
戦後の苦しい時代を画期として異質な発展を遂げた石橋。片や明るい商店街、片や北摂一の歓楽街。その時代を生きる人々の需要に支えられて、石橋は大きくなっていった。
今後、石橋はどうなっていくだろうか。阪急の開業以来続いた130年以上駅名の変更によって、今後は石橋のまちと大阪大学の学生の結びつきがより強くなっていくことが予想される。まちの需要を担うのが若者・学生となるのだ。
将来の石橋が「今以上に大きなまちとなるか」「衰退していくか」は阪大生自身の手にかかってくる。担い手が変わればまちも変わる。数年後・数十年後には学生の意見で石橋の東西差が解消されるかもしれない。
そうでなくとも、今とは全く違う光景が見られるのではないだろうか。
(コフンねこ)