水戸偕楽園周辺の「謎の洞窟」の正体は?現地で探る【南崖の洞窟】

歴史

『南崖の洞窟』と謎の洞窟

偕楽園のなかでも南寄り、崖状のエリア。そのど真ん中にも『謎の洞窟』があります。

その名も『南崖の洞窟(なんがいのどうくつ)(そのまんますぎる)。

たしかに南崖の洞窟の内部もノミか何かで丁寧に削られており、偕楽園周辺で見つけたその他の洞窟と同様の特徴を持っていることがわかります。

 

なんと!『南崖の洞窟』の横には解説看板が。

どうやら「答え」が掲載されているようですね……。

この洞窟は今から約350年前の第2代藩主徳川光圀時代から第9第藩主徳川斉昭時代にかけて「神崎岩(かみさきいわ)」と呼ばれていた石を採掘していた跡の1つです。

洞窟は延長150mに及び、この岩は笠原水道の岩樋、好文亭の井戸筒及び吐玉泉の集水暗渠等に使用されました。

この洞窟は『江戸時代の採石坑』だったとのこと。

おそらく偕楽園周辺に潜むその他の『謎の洞窟』も同様なのでしょう。江戸時代に街の開発にあたって必要だった石材を入手した穴。それが崩落しつつも現存している……!

ふむふむ。

 

ただし、まだまだ疑問は尽きません。

『謎の洞窟』から生まれた石材は、どんな用途で用いられたのでしょうか。

 

水戸市内における石材使用

偕楽園の南側、と言いますか、水戸駅周辺の常磐線の線路のすぐ北側はになっています。

偕楽園内の崖部分ではけっこうな数の美しい梅の花が咲いていたりするので、その崖に設けられた険しい坂道や階段を観光客がひいひい行き来する。そんな場所。

絵図でも崖状の地形がわかります

僕は当初、この崖を『常磐線の建設に伴う地形改変』と思っていました。しかし、どうやらこの崖は自然地形。偕楽園のすぐそばに広がる「千波湖(せんばこ)」の浸食作用を受けて形成されたものだそうな。

 

そして、この崖から入手できる良質の石材=神崎岩(凝灰質泥岩)は、どうやら古墳時代から使われていたといいます。

Wikipediaより

水戸市内の著名な古墳である『吉田古墳』の墓室(石室)に利用されていた石材は、産地分析の結果千波湖崖の石=神崎岩と判明。化学分析すごいな。

 

また、採掘が本格化した江戸時代には水戸市内の開発にあたって様々なところで神崎岩が用いられました。

『南崖の洞窟』の解説看板にあるような『笠原水道(かさはらすいどう)』の整備はもちろん、近年の発掘調査では水戸城周辺の側溝の整備にも神崎岩が使用されていたことが発覚。それだけ市街で広く用いられていたんですね。

笠原水道の水源地

水戸城

なるほど……。

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