2020年3月、あの東日本大震災から9年を経て、ついに常磐線が全線復旧した。
今回新たに復旧したのは、福島県沿岸部の富岡~浪江間。
震災や津波自体の被害もさることながら、原発事故の影響も多大に受けた地域だった。
これにより、関東から東北の太平洋沿岸が鉄道によって再び結ばれたことになる。
この全線再開に伴って、特急の運転も復活を果たした。これまで品川・上野~いわき間の運行に留まっていた特急「ひたち」が、運行再開区間を通って宮城県の仙台まで足を延ばしたのである。
しかし、この運行再開が祝福ムード一色で迎えられたわけではない。一部に「再開したところで利用客はいるのか」「放射能がまだ怖いじゃないか」といった声も聞かれた。
これらの疑念に対する明快な答えを出すには、実際に運行再開区間を利用するのがベストだ。それも、いわゆる“鉄道マニア”の利用が少ない時期に。
そこで本記事では、運行再開区間の乗車記を軸に据えつつ、沿線の風景や利用状況を書き記していく。そのうえで、常磐線の運行再開が東北復興に与えた影響について考えてみたい。
いわき駅から「特急ひたち仙台行」に乗車
福島県いわき市。福島県沿岸部=「浜通り地域」で最大の都市であり、ここには一日十数本の特急「ひたち」が東京方面からやってくる。
かろうじて普通電車のみがこの先の富岡駅まで運行されていた。けれども、特急は長らくここで「行き止まり」。そういう状況が続いて約9年が経つ。
しかし、2020年3月の常磐線全線復旧に伴って、ついにここから先の仙台を目指す特急の運行が再開された。
運行再開から幾日か経った今日も、いわき駅のホームに仙台行の特急10両編成が滑り込んでくる。
新幹線を除くと東北地方では最長となる編成だ。途中で切り離しなどはなく、10両のまま仙台まで向かう。
いわき駅からも筆者を含めた数人が乗車した。そして、滑らかに発車。
車内を見渡してみる。利用客は1両に数人~十数人程度だった。
たしかに、一見すると利用客数は少なく思える。結局のところ10両編成では供給過多なのだろう。
それでも計算上は列車全体におよそ50~100人程度が乗車していることになるので、絶対数で見れば少なくないとも言える。
ちなみに、常磐線特急「ひたち」の乗車率が最も高い上野~水戸間はラッシュ時になるとほぼ満席になる。首都圏と比較してはいけない。
放射能と災害の対策
3月とはいえ、まだまだ冷える東北の春。曇り空に太平洋の波は荒々しい。震えるほど何度もニュースで見た「あの海」を眺めつつ、列車は運行再開区間に突入していく。
しばらくして、同じ車両の乗客の一人が「おっ」と声を上げた。車窓に目を移すと、車窓の向こうに高いクレーンや煙突などが見えるではないか。
紛れもなくあれは福島第一原発だった。
爆発した覆屋こそ見えないものの、常磐線が割と原発の近くを走っている事には素直に驚いた。なるほど、これは9年もかかるわけだ。
原発と線路が至近距離にあることからもわかる通り、いわゆる原発周辺地域=帰宅困難区域の放射能汚染の影響は甚大だった。常磐線の復旧は「除染」にかかっていたと言ってもいい。
ただし、帰宅困難地域「全体」の除染は困難である。
そこで、JR東日本は「鉄道設備」に絞って除染を行った。この除染が功を奏し、常磐線の線路・駅の放射線量は現在基準値を大きく下回ることに。
しかし、それ以外の場所はいわば「帰宅困難」のまま。誤解を恐れずに言えば、新たに運行を再開した区間の車窓には痛々しい風景が広がっている。
今にも崩れそうな家、耕作放棄された田んぼ。駅周辺でも一定の区域を出ると9年前で時が止まっている。常磐線が復旧したとはいえ、完全な「まちの復興」は遠いのだと思い知った。
沿線の風景と利用客の動向
では、そんな地域に鉄道を通して需要はあるのだろうか。
特急「ひたち」はいわきを出ると広野・富岡・大野・双葉・浪江・原ノ町・相馬・(亘理)・(岩沼)・仙台に停車する(太字が新たに再開した区間の駅)。
いわきから仙台までの間にお客さんの乗り降りが本当にあるのかどうか、正直疑問が残る。
まず大前提として、(上述の通り)いわき駅からも数人~十人程度が乗り込んでいた。とはいえ、それ以外の乗客は東京・千葉・茨城あたりから列車を利用しているはずだ(もちろんどこで乗ったかは確かめようがないのだけれど……)。
結論から言うと、どの駅でもポツポツと下車があった。乗車人数はかなり少なかったけれど、降りている人は結構いた。仙台はもちろんのこと、原ノ町・相馬では結構な数の降車客がみられた。
つまり、今はまだ新たに再開した区間内の需要は少ないと言っていい。しかし、再開区間を越えた先の駅とまちには特急を通すだけの意味が確実にある。
したがって、常磐線の全線復旧や仙台まで直通する特急の復活の効果は、運行再開区間における乗降客数だけで評価できるものではない。帰宅困難地域を越える移動を容易にした点で優れているのだ。
常磐線復旧が東北復興にもたらす意義
ここまで、いわき駅から仙台駅まで特急「ひたち」に乗車しながら、沿線風景・乗客の動向を通して常磐線復旧区間の利用状況や需要をみてきた。
そこで抱いた感想は以下の通り。
“常磐線の全線復旧は「ついに復興を果たした」という文脈ではなく、「復興への足掛かり」として捉えられるべき”
現状では再開区間の各駅で降りる目的はかなり少ないだろう。除染が進んでいるとはいえ、未だに駅や線路を一歩出れば帰宅困難地域なのだから。
それよりも今はむしろ「再開区間を越えた移動」に着目すべきである。
特に水戸~仙台・いわき~原ノ町・仙台といったルートにはもともと需要がある。しかし、常磐線の不通区間が足かせとなってなかなか移動できなかった人も多かったはずだ。
ではなぜ、(普通だったら通り過ぎてしまうような)運行再開区間の各駅にも特急列車を停めているのか。
筆者はここに「復興への足掛かり」をみている。
たしかに今は大野・双葉・浪江で降りても滞在できる場所・時間は限られている。
しかし、長期的に見れば、こうした地域に住んでいた人が様子を見に来たりだとか、除染や復興計画を進める方々が視察に訪れたりとか、そういう需要は確実に存在するわけだ。
もっと言うと、除染や復興が進めば「東京行・仙台行の特急が停まるなら……」と地元への帰還を決める人が将来的には増えるかもしれない。
その点、自家用車よりも多くの人を手軽に運べる特急列車の存在は大きい。東京や仙台といった大都市と乗り換えなしでつながっている点も、被災地を訪ねるハードルをかなり低くしているものと思われる。
つまり、運行再開区間の各駅に特急をわざわざ停車させる目的は、現在ではなく未来。
……もともと福島県浜通り地域は、歴史的に見て関東と東北の緩衝地帯的な地域だった。人々が行き交い、文化が混じりあうような場所。そこに改めて鉄道が通った。
今は難しくても、もう少し先の未来に再び地域の歴史が紡がれていく。常磐線の復旧は、地域のバトンを未来につなぐものとなりうる。