10代後半から20代前半の若者が集い、住む。大学の周囲の街=学生街の強みはまさにそこで、少子高齢化だの過疎化だのが叫ばれる現代でも、学生街では若者を見ない日はない。
しかし、これはある意味で地方間の格差を生んでいる。大学の有無は、街の若年層の人口に大きな影響がある。いわば、大学のない街から大学のある街へと若年層が流出してしまうのだ。
人口減少が止まらない地方都市にとって、この問題はかなりシビアである。
「大学がない街」…愛媛県宇和島市では、地元の方が「若者の少なさ」に嘆いていた。
人口流出が止まらない宇和島
愛媛県南予地方で最大の都市である宇和島市。古くは宇和島伊達藩のお膝元として栄え、水産業や食品製造業が盛んな街として知られている。
幕末には薩摩・長州・土佐・肥前に次ぐ勢力として維新に貢献した歴史もある。そのくらい栄えた街だった。
現在の人口はおよそ7万人。誤解を恐れずに言えば、幕末維新の原動力となった街としては少ない数字ではないか。
加えて、平成に入ってからの減少幅がかなり大きい。約30年前(約10万人)と比較すると、現在までにおよそ3万人も減った。
これが宇和島の問題である。幕末には大きな力をもち、明治から昭和にかけて数多くの著名人・実業家を排出した宇和島の街で、人口減少が止まらない。
この原因は、年代別人口をみればすぐにわかる。10代後半から20代前半のところでグッと数値が下がっているのだ。つまり、「大学生世代」の人口流出が、宇和島の人口減少の根本的な理由と言えよう。
宇和島城ボランティアAさんのお話
筆者が宇和島を訪ねたのは、大学1年生の冬だった。四国を鉄道で一周する旅行の中でまさかの大雪に遭遇し、宇和島で足止めを喰らったのである。
「仕方ないから観光でもしよう」、と向かった先の宇和島城で、解説ボランティアのAさん(多分60代後半くらいの男性の方)と出会った。
***
Aさん「兄ちゃんはどっから来たの?」
ぼく「大阪からです」
Aさん「おお、大阪か」
聞けば、Aさんはもともと大阪生まれ大阪育ちで、友人に誘われて宇和島に引っ越してきたのだという。
ぼく「宇和島、いいとこですもんね」
Aさん「せやろ?ただ、兄ちゃんみたいな若者は年々少なくなってんねん」
ぼく「少子高齢化なんですかね」
Aさん「いや、そうとも限らん。実際子どもはおるし、賢い学校もある。でも、大学がないねん。大学がないから、若者もどっか行ってしまう。そして戻ってけえへん」
言われてハッとする。これはぼくの実感と一致していた。宇和島の街を歩いているとかなりの数の小中高生とすれ違ったからだ。でもたしかに同じ年代の人とは全く出会わなかった。
なるほど、大学がない街からは若者が消えるのか。
Aさん「宇和島に若いのが戻るのは盆と正月ぐらいやなぁ。そしてまたどっか都会に戻る。もともと宇和島に住んでたわけちゃうから寂しいとかではないねんけど、やっぱり、活気はなくなってるわな……」
寂しくない、と言う割にはあまりにも不自然な作り笑顔でAさんが言った。
***
宇和島は、飛行機を使っても東京から5時間以上かかる。かなり失礼なことを言うと、四国の地方都市のなかでも宇和島はかなり辺境の地だ。だからこそ、一度流出した人口が回復しにくいのかもしれない。
実際に宇和島城の天守閣から街を見渡してみると、小さな平野に所せましと家々が並んでいるように見える。人口が減った今でもそうなのだから、往時はもっとすごかったのだろう。
眼下には集団で会話に励む高校生の姿も。彼らの半分強は進学や就職で宇和島を離れてしまうはずだ。そして、戻ってこない。
大学があれば、外に出てしまう彼らを引き留めることもできるし、外の地域から若者を集めることだってできるのに。
大学の有無。非常にシンプルな割には、なかなか大きな課題なのかもしれない。
地方に大学を増やすことはできるか
たしかに、大学のない街に大学を作れば若者の減少を止められる可能性は高い。
しかし、そんなにうまくいくだろうか。
現在のところ、少子高齢化・日本全体の人口減少に対して、大学の数は相当多いらしい。そして、その多くが大都市とその周辺に密集している。
特に私立大学にとって、大学運営はある意味でビジネスの側面もある。人口の多いところに大学を出して、受験料・入学金・授業料などを稼ぎつつ、国・企業からの支援金を受けるのに必死だ。そうでもしなければ、この人口減少社会でやっていけるはずもない。
つまるところ、地方の人口減少を救うために大学を新設するようなモデルは、よほどの余裕が無い限り難しいはずである。
実際、地方ではこの「大学の有無」の問題が想像以上に大きな課題として横たわっている。このシビアな問題が、Aさんの思いが、国や行政に届くことを祈りたい。