ほかにもあった!謎の洞窟
常磐線の線路脇にひそむ謎の洞窟。その正体を探るため、まずは周辺の散策をスタート。
すると驚くべきことに、偕楽園周辺で無数の洞窟を発見できてしまいました。
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨、とします。
それらの中には内部をうかがうことができる洞窟も(※もちろん内部に侵入することはできませんでした)。遠目から中身を見る限り、ノミか何かで壁面が丁寧に削られている様子。
つまり、洞窟は『人工』であるか、または自然の洞窟を人間がさらに削ったものとみて間違いない……?
なんと、見つけた洞窟は(常磐線の車窓から観測したモノを含めて)全部で9個にも上ります。多すぎる。
つまり、水戸って「目的不明の人工の洞窟が無数に存在する街」なわけです。
怖すぎません?
世にも奇妙すぎるでしょ……。
絵図にも書かれた『謎の洞窟』
後日詳しく調べてみると、『謎の洞窟』の正体を探るヒントが“明治時代に描かれた「絵図」”の中に残っていることがわかりました。
その絵図の名は「水戸鳥瞰図」。水戸市の情景を斜め上から捉えた作品で、明治時代の超有名鳥瞰図絵師の吉田初三郎さんが描いたといいます。
で、この絵には偕楽園やそのすぐ横を走る常磐線の列車も描かれているんです。
常磐線の列車は、『翔んで埼玉』さながらの蒸気機関車牽引
今回の記事で取り上げた線路脇の『洞窟』もバッチリ描かれています。
それがこちら。
集合体恐怖症の方が卒倒してしまいそうな感じ。数えてみると、偕楽園周辺に11個ほど洞窟が描かれているようです。
ここで気づいたことが。
まずは、実際に観測できた洞窟の数と鳥瞰図に描かれた洞窟の数が合いません。再開発などによって洞窟がつぶされてしまったのか、または絵図のほうが適当なのかどちらかでしょう。
事実、⑦・⑧番の洞窟のように半壊状態の洞窟も多少ありました。
⑧の洞窟はつぶれている。
水戸市は東日本大震災でも比較的揺れの被害が大きかった街。そのような度重なる災害によって洞窟が崩れてしまうような事態があったのかもしれません。明治時代までは今よりもっとたくさんの洞窟があったのかも。
そして、この絵図については他にも指摘すべき点が。
本来あるべき場所に洞窟が描かれていないんですよ。
その場所とは……なんと、ほかならぬ『偕楽園』?