岡崎の古墳と道
岡崎城から北東方向を望むと、小高い丘陵が見える。そのてっぺんには「古墳」の姿が。
甲山1号墳(かぶとやまいちごうふん)。現状では直径60mほどの円墳で、すごく大きいわけではない。
しかし、近年新たな説が唱えられている。
隣接する別の古墳とされていた盛土と甲山1号墳は同じ古墳で、全長120mほどの前方後円墳になるのではないか、と。
これ、めちゃくちゃすごいんですよ。
径60mの円墳と全長120mの前方後円墳では権力の大きさに随分差があるの。
例えるなら、円墳だと広くても「岡崎市内くらいの範囲の王」なんだけど、前方後円墳だと「西三河地域の王」くらいになる。その権力の大きさが。
古墳の上に登ると、なんとなくそれがわかった。
岡崎のまち、そこから南側に続く三河の平野を見下ろすように築かれた前方後円墳。
西三河の王に相応しい堂々たる風格だ。
ここでふと、眼下の道路に視線を移す。
(わかりにくいですね。)
どうも、古墳のある丘陵に対して真っ直ぐ延びている道路が多い。さらに言えば、それらの道路は丘陵を丸く囲む道路と交差している。
「なんだこれ」
平城京や平安京ほどではないけれど、『碁盤の目』のように道が整備されている岡崎市内。
その碁盤の目が、古墳のある丘陵に向かって真っ直ぐ真っ直ぐ延びている。並行する道路も多数あった。
地図上でも丘陵の市街地側には整然とした碁盤の目が見える。その一方で、丘陵の裏手の道路は雑然と配置されているではないか。
ここで筆者は一つの可能性に賭けたい。
岡崎市街地の「道」は、
古墳から見下ろす形で
割りつけられたのではないか……?
岡崎市内は主に2つの河川「乙川」「矢作川」に囲まれている。それらの河川と「道」は概ね並行しているので、道の方向性については河川を基準にしたと考えてよいだろう。
「乙川」のようす。
「○○と並行した道」を作るには。平地でなんとかするよりも、山から見下ろして割り付けるのが最適な方法……!